独我論vs遍在転生観
見事に予想を裏切られた。気晴らしに読もうと思って借りた本がこんなに面白いとは!
本屋でならまず買わないであろう本でもタダなら読む気にもなれるものだ。これだから図書館通いはやめられない。
輪廻転生を考える―死生学のかなたへ (講談社現代新書―ジュネス)
- 作者: 渡辺恒夫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/05
- メディア: 新書
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驚きなのが本書の中で古代インド思想の「輪廻転生」というキーワードは単なるオマケのような扱いであることだ。では何が面白いのか?
本書で一番アツい部分は著者オリジナルの「遍在転生観」によって(永井均の)独我論を論駁しようとしている箇所である。僕が読んだかぎりでは、どう考えても著者は永井均の独我論を誤解している。もし著者が独我論を論理として理解(?)している上で独我論を批判しているのなら、永井均が主張するところの「問い」に対する感度がこの著者の場合、非常に鈍いと言える。
しかしである、著者である渡辺恒夫がすばらしいのは「私」という存在について、永井均もビックリの(実際ビックリするかわからないが)、オリジナルの遍在転生観という説をうちだしているところである。この「遍在転生観」はある意味では独我論を超えている。それは、かのヴィトゲンシュタインが言った「勇気ある思想」という意味で。はっきり言って渡辺恒夫はエライ。彼が遍在転生観を語る際の時間論や空間論のあいまいさだとか、独我論に対するスキだらけの批判などは思わず目をつぶりたくなるほどである。
他の著作も読んでみたいと思った。