最近読んだ本(3月中旬頃〜下旬)

ウロボロスの偽書 (講談社ノベルス)

ウロボロスの偽書 (講談社ノベルス)

ウロボロス偽書
デビュー作『匣の中の失楽』のような重厚な印象はないが、世界観はこちらのほうがとっつきやすい。とは言っても、正直なところ芸者たちの話はつまらなかった。
幾重にも世界がおり重なっていく過程を楽しむ小説なのはわかる。しかし、なぜ芸者?という疑問がいつまでも頭から離れないまま読み終わった。その辺が実に惜しい。舞台が違えばもっと引き込まれた気がするのだが…。
作中の竹本健治が知らない間に原稿を書き加えられているという設定も少し、いやかなり強引な話ではないのか。読者としては「途中で気づいてるなら書き換えられないようにしろよ!」と突っ込みたくなる思いである。
ちょこちょこ出てくる衒学的な挿話は面白いが言いたいことがひとつある。「連載第十二回」の中で完全に同一の人間を複製した場合の思考実験をしているが、完全に意識も同じというのはあり得ないのではないだろうか。というのは、哲学でいう独我論の立場をとるならば、まったく同じ?AとBという人間の意識に〈私〉という概念が発生した時、例えばAの〈私〉の中にBの〈私〉がAの世界の一部として内包されるのである。つまりどんなに客観的に同じ二人の人間がいようとも、その人間に主観がある限り、客観的な区別はつかなくともそれぞれが「〈私〉はあなたではない」ということが明白なのであるからその二人にしてみれば「同じ」ではないのである。
なんだか物理学の観測者問題みたいになってきたなあ。

うずまき猫のみつけかた―村上朝日堂ジャーナル

うずまき猫のみつけかた―村上朝日堂ジャーナル

『うずまき猫のみつけかた』
村上春樹が極端な中華料理アレルギーだというのは意外だった。そう言われてみれば彼の小説には中華料理がほとんど出てこないような…。それにしても一度もラーメンを食べたことがないというのは驚きである。
村上春樹のいいところ、というか彼のエッセイなんかを読んでいていいなあと思うのは、随所に教訓的なメッセージがちりばめられているのに嫌みがないところである。洗練されたシンプルな文体のせいだけではない。彼の教訓は決して説教的でもないし倫理的でもないのだ。彼自身、人にものを語るときの押しつけがましい態度といったものが許せないのではないだろうか。彼の中では世間的な善悪などより、あくまでも好みの問題、つまり趣味の問題のほうが人生にとって重要であるというような印象を受ける。
そう考えると交通標語が嫌いなのもうなずけるわけである。
あと、村上春樹大麻に寛容な姿勢を打ち出しているのは痛快である。彼にしてみれば大麻問題なんてものは良い悪いではなく、騒ぐほどのものではないということですね。

文章修業

文章修業

『文章修業』
いわゆる「文壇」が華やかなりし頃の思い出話は聞いていて心地よいものである。やはりその頃は文学的に?いい時代なのであろうか。
全体を通じて二人の対談でセックスの話ばかり出てくるのにはある意味感心した。水上勉養老孟司に「わたしは七十八になっても、いまだに女性を見ると女性を求める気持ちがあるんです…」と女性を見てムラムラする気持ちを語るあたりはスゴい。
また、瀬戸内寂聴がNHKで源氏物語のことを強姦の話だと言おうとしたら、「強姦」という言葉は使わないでくれと言われた話も彼女らしいと思った。ちなみに「レイプ」という言葉なら良いそうである。

思考のレッスン

思考のレッスン

『思考のレッスン』
著者の勉強ぶりをみると、こういう人は敵にしたくないな〜と思う。どうやら自然主義文学が嫌いな人のようで、私なんかは読んでいて苦笑させられる。
論旨が明快で説得力がある。

天皇ごっこ

天皇ごっこ

天皇ごっこ
天皇と右翼と刑務所がわかるという触れ込みの本だが、読んで納得。とてもわかりやすい文章なので読みやすかった。
単なる政治的な話にとどまらずエンターテイメント性もあるので、テーマのわりに抵抗なく読み進めることができる。
しかしこの本一冊で右翼がわかった気になってはいけない。

ヒコクミン入門 (集英社文庫)

ヒコクミン入門 (集英社文庫)

『ヒコクミン入門』
こちらは左翼の本…とまではいかないか。
島田雅彦の本は今回読むのが初めて。どうもこの人の話は鼻につくところがあって、ただの自慢話にとれるような部分も多少ある。
若い頃に書いたエッセイなのでしかたないのだろうか。良い意味で刺激的な内容であるだけに細かいところが残念な本である。

少し耳の痛くなる話

少し耳の痛くなる話

『少し耳の痛くなる話』
てっきりドナルド・キーンが書いた文章そのままかと思いきや翻訳されているんですね…。
内容としてはキリッとした感じで古き良き日本を意識させるものである。
タイトル通り、日本人が読むと少し耳に痛い。なかでも著者やその他外国人の、餅が苦手だという話は思わず同情する。

『見えるものと観えないもの』
淀川長治との対談の中で、横尾忠則の原体験が江戸川乱歩であり、それ以降何を読んでもピンとこないというのが面白い。
面白く読んでいたのもつかの間、草間彌生との対談ではかなりイライラさせられた。私は美術家としての草間彌生はほとんど知らないが、これはひどいと思った。
横尾忠則との対話がまったくかみ合っていない。草間自身もそれに気づいて戸惑いを見せているが、横尾さんの方がもっと気の毒である。少なくとも(現代美術界や美術史を知らない)第三者が読むと彼女が言っていることはなんだかメチャクチャに思えてしょうがない。