独我論について少しばかり

独我論とは、他人も含めて全世界が私の世界であってその外部は存在しない、という主張である(『事典 哲学の木』より引用)。
これは決して物理的に他人が存在しないというわけではなく、また、他人の心が存在しないというわけでもない。あらゆるものが<私>の世界の中でしか存在しないというだけで、その<私>の世界の中では他人という存在を認めているのである。
一見単なる主観主義のようだが独我論というのは実に奇妙な構造をもっている。それは、もし独我論者が複数いたとしても、それぞれが互いにその主張を共感しあうことができないことである。なぜなら独我論の根本的な主張は、<この私>が他の誰にも交換できないということなのだから、その真の意味が<私>以外の誰かに伝わることはありえない。
では独我論を誰かに語りかけるということは何を意味するのか?

哲学者の永井均は他に類を見ないほど果敢に独我論を語りかけている人物である。その著作には、彼が読者にたいして独我論を伝えたいのと同時に、伝わるはずがない(伝わっては困る)というアンビバレントな気持ちが満ちあふれている。