幻の女

幻の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 9-1))

幻の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 9-1))

 (ネタバレ注意!)
 ずいぶん評価の高いミステリー小説らしく江戸川乱歩も褒めているので読む。
 ひどくイライラさせる小説である。手に汗握るとか気をもませるといったレベルではない。登場人物の行動一つ一つが理解不可能であるため、感情移入どころか苛立ちすらおぼえてしまう。読者(私)はずっと登場人物の非合理的な行動に付き合わされるハメになり、さんざん引っ張り回されたあとに意外なラストを迎えたとしてももうどうでもよくなってしまった。
 よく推理小説なんかで身勝手な行動をしている登場人物に対して「やれやれ」と思わされること、例えば閉ざされた山荘なんかで一人目の犠牲者がでたあとに「俺はお前らなんかと一緒に行動しないからな!」と一人息巻いて勝手に単独行動した挙げ句に次の日にまんまと死体となっている状況がしばしばあるが、それよりもひどい。
 特に主人公の愛人のキャロル・リッチマン。彼女がしでかした行動は軽率すぎるし、より悪い状況を作りだしている。バーテンダーが気の毒でしょうがなかった。他になにか方法があるだろうと呟かずにはいられない。
 それと、幻の女っていうのがただのキチガイだったっていうのが腑に落ちない。というかこの事件自体、偶然が重なりすぎ。後味の悪さだけが残り全然スッキリしない。

 あの時代のアメリカの司法制度は知らないが、死刑執行当日に新たな証拠がでただけで死刑執行がストップされるというのはすごいなあ。

どこか遠くへ

 どこか遠くへ行きたい、と思うようになってきた。以前は旅なんてそんなに興味がなかったのに。
旅に関する本ばかり読んでいるからなのか、いや違う、旅に関する本にしても昔は関心がなかったはずだ。無性に旅がしたい。それどころか旅から帰らずにそのまま住み着いてもいいくらいだ。逃避願望なのだろうか。
 今自分がいる場所が落ち着かない、というのが原因なのかもしれない。そもそも自分のいるべき場所がわからない。土地や場所に対する帰属意識もない私はどうすればいいのだろう。
 ともかく、どこか遠くに行きたい。
 
 

旅と歴史

イラストクワイ河捕虜収容所―地獄を見たイギリス兵の記録 (現代教養文庫 1109)

イラストクワイ河捕虜収容所―地獄を見たイギリス兵の記録 (現代教養文庫 1109)

 久しぶりにフランクルの『夜と霧』を読み、アジアでの捕虜収容所に興味が出てきたので『イラスト・クワイ河捕虜収容所』を読んだ。
この本は全体として見開きの右ページで収容所体験の文章があり、左ページが著者の描いたイラストという体裁になっている。著者の画風がつげ義春に似ていて悲壮感がただよっている。
 不思議なことだが、夜と霧を読んだ後ではタイ・ビルマにおけるイギリス人捕虜のこの体験記はまだマシなような気がした。これはおそらく相対的な比較でそう感じただけであり、このイギリス人だってそうとう悲惨である。
バタバタと仲間が死んでいく中でこの著者が感じたことは「ここでは宗教はなんの役にもたたない」という衝撃的なものだった。聖書はちぎられ、排泄の時に尻を拭くのに用いられたという。そして、ここでは信仰とは違った意味での精神的なものが重要であると言っていたのが意外であった。
 極限状態で人間が何を求めて何によって救われるか(もしくは救われないか)が浮き彫りになる2冊であった。


地球でいちばん過酷な地を行く―人類に生存限界点はない!

地球でいちばん過酷な地を行く―人類に生存限界点はない!

 世界で最も暑い、寒い、などの国々を訪れる紀行もので、極端なだけに面白かった。世界一寒いところだけは絶対に行きたくないと思った。


恋愛旅人

恋愛旅人

 前半のアジア編に比べてアフリカ、ヨーロッパのパートがつまらなく感じられた。文章のテンションが全然違うと思ったら初出が書き下ろしだったりそうでなかったりと角田光代旅行記の寄せ集めだったということで納得。全体の統一感がないのが残念だがアジアのパートは良かった。


本棚探偵の冒険

本棚探偵の冒険

 本好きにはたまらない一冊。この人の漫画を知らなくても十分楽しめる内容であり、人がマニアになっていく過程がよくわかる。
また、古本蒐集マニアというものはある程度の金がないとダメだっていうことがよ〜くわかった。
 しかし読んでいてだんだん気になったのは著者の喜国氏が買った本を全然読まないということ。つまり単に本そのものを集めるのが好きなのであって読書は二の次というスタンスである。それはそれで文句は言えないが、こういったマニアが増えれば増えるほど稀覯本などは大金を出さないと読めないことになり、情報の独占がますますはびこっていくのではないかという危惧である。
 彼らの対極に位置するのは、本なんて読めれば初版だろうが絶版だろうが関係ない、要は本は読むためにある、と思う読書家たちであろう。読書家たちが読みたい本が読むつもりもない古書蒐集マニアによって買い叩かれ、本棚の隅で誰に開かれることもなくじっとしている光景を想像すると妙な不快感がわきでてくる。これではますます本が売れなくなって書籍が電子データベース化されるのは必然である、というのは言い過ぎか。


ガラパゴスの怪奇な事件

ガラパゴスの怪奇な事件

 面白い。ノンフィクションでこんなに夢中になったのはいつぶりだろうか。
 1929年、ドイツ人の男女二人が文明生活を離れ、ガラパゴス諸島のある島に理想を求めて上陸するが、そのことが本国で有名になるにつれて島には侵入者たちが訪れるようになる…。
 冒険譚でもありサスペンスでもあるこの実話は住民同士の争い、行方不明者、死体など最後まで謎が残るエピソードであふれており、実に興味深い。

ペダントリー

黒死館殺人事件
まさに衒学的の一言。そして百科事典をひっくり返したような夥しい引用に次ぐ引用!
ゴシックな世界観は私好みであるが、あらゆる単語にルビがふられているので読むのに一苦労である。しかも、読みながら「このルビ間違ってるんじゃないかなあ」と不安な気持ちでいたら案の定間違っていました(笑)。うろ覚えで引用しまくる小栗虫太郎恐るべし。
私が読んだのは社会思想社の現代教養文庫版なので他の出版社のものはわからないが、付録の書評や解説が妙に面白かった。突っ込みたかった部分を読者の代わりにちゃんと突っ込んでいてくれてスッキリするし、凡庸な書評と違って作品中の良くない点をガツンと指摘している。

三大ミステリで一番のめり込めたのは『ドグラマグラ』だった。とにかく何も考えず、チャカポコしたリズムに身を任せるだけで他の小説では味わえないようなトリップ感が堪能できる。メタミステリという見方でも『虚無への供物』よりもざっくりとした、それこそガラリと世界が変わってゆく時の酩酊、「めまい感」とでも言うような感覚にただただ酔いしれるのみである。それに比べると『虚無への供物』はこぢんまりまとまっている印象が拭えない。良く言えば真面目な感じ。勝手に順位をつけるなら1位ドグラマグラ、2位黒死館殺人事件、3位虚無への供物で決定。『虚無への供物』が3位なのは『匣の中の失楽』のほうが良かっただけに相対的に本家?のほうが評価が低くなってしまった結果です。

最近読んだ本(3月中旬頃〜下旬)

ウロボロスの偽書 (講談社ノベルス)

ウロボロスの偽書 (講談社ノベルス)

ウロボロス偽書
デビュー作『匣の中の失楽』のような重厚な印象はないが、世界観はこちらのほうがとっつきやすい。とは言っても、正直なところ芸者たちの話はつまらなかった。
幾重にも世界がおり重なっていく過程を楽しむ小説なのはわかる。しかし、なぜ芸者?という疑問がいつまでも頭から離れないまま読み終わった。その辺が実に惜しい。舞台が違えばもっと引き込まれた気がするのだが…。
作中の竹本健治が知らない間に原稿を書き加えられているという設定も少し、いやかなり強引な話ではないのか。読者としては「途中で気づいてるなら書き換えられないようにしろよ!」と突っ込みたくなる思いである。
ちょこちょこ出てくる衒学的な挿話は面白いが言いたいことがひとつある。「連載第十二回」の中で完全に同一の人間を複製した場合の思考実験をしているが、完全に意識も同じというのはあり得ないのではないだろうか。というのは、哲学でいう独我論の立場をとるならば、まったく同じ?AとBという人間の意識に〈私〉という概念が発生した時、例えばAの〈私〉の中にBの〈私〉がAの世界の一部として内包されるのである。つまりどんなに客観的に同じ二人の人間がいようとも、その人間に主観がある限り、客観的な区別はつかなくともそれぞれが「〈私〉はあなたではない」ということが明白なのであるからその二人にしてみれば「同じ」ではないのである。
なんだか物理学の観測者問題みたいになってきたなあ。

うずまき猫のみつけかた―村上朝日堂ジャーナル

うずまき猫のみつけかた―村上朝日堂ジャーナル

『うずまき猫のみつけかた』
村上春樹が極端な中華料理アレルギーだというのは意外だった。そう言われてみれば彼の小説には中華料理がほとんど出てこないような…。それにしても一度もラーメンを食べたことがないというのは驚きである。
村上春樹のいいところ、というか彼のエッセイなんかを読んでいていいなあと思うのは、随所に教訓的なメッセージがちりばめられているのに嫌みがないところである。洗練されたシンプルな文体のせいだけではない。彼の教訓は決して説教的でもないし倫理的でもないのだ。彼自身、人にものを語るときの押しつけがましい態度といったものが許せないのではないだろうか。彼の中では世間的な善悪などより、あくまでも好みの問題、つまり趣味の問題のほうが人生にとって重要であるというような印象を受ける。
そう考えると交通標語が嫌いなのもうなずけるわけである。
あと、村上春樹大麻に寛容な姿勢を打ち出しているのは痛快である。彼にしてみれば大麻問題なんてものは良い悪いではなく、騒ぐほどのものではないということですね。

文章修業

文章修業

『文章修業』
いわゆる「文壇」が華やかなりし頃の思い出話は聞いていて心地よいものである。やはりその頃は文学的に?いい時代なのであろうか。
全体を通じて二人の対談でセックスの話ばかり出てくるのにはある意味感心した。水上勉養老孟司に「わたしは七十八になっても、いまだに女性を見ると女性を求める気持ちがあるんです…」と女性を見てムラムラする気持ちを語るあたりはスゴい。
また、瀬戸内寂聴がNHKで源氏物語のことを強姦の話だと言おうとしたら、「強姦」という言葉は使わないでくれと言われた話も彼女らしいと思った。ちなみに「レイプ」という言葉なら良いそうである。

思考のレッスン

思考のレッスン

『思考のレッスン』
著者の勉強ぶりをみると、こういう人は敵にしたくないな〜と思う。どうやら自然主義文学が嫌いな人のようで、私なんかは読んでいて苦笑させられる。
論旨が明快で説得力がある。

天皇ごっこ

天皇ごっこ

天皇ごっこ
天皇と右翼と刑務所がわかるという触れ込みの本だが、読んで納得。とてもわかりやすい文章なので読みやすかった。
単なる政治的な話にとどまらずエンターテイメント性もあるので、テーマのわりに抵抗なく読み進めることができる。
しかしこの本一冊で右翼がわかった気になってはいけない。

ヒコクミン入門 (集英社文庫)

ヒコクミン入門 (集英社文庫)

『ヒコクミン入門』
こちらは左翼の本…とまではいかないか。
島田雅彦の本は今回読むのが初めて。どうもこの人の話は鼻につくところがあって、ただの自慢話にとれるような部分も多少ある。
若い頃に書いたエッセイなのでしかたないのだろうか。良い意味で刺激的な内容であるだけに細かいところが残念な本である。

少し耳の痛くなる話

少し耳の痛くなる話

『少し耳の痛くなる話』
てっきりドナルド・キーンが書いた文章そのままかと思いきや翻訳されているんですね…。
内容としてはキリッとした感じで古き良き日本を意識させるものである。
タイトル通り、日本人が読むと少し耳に痛い。なかでも著者やその他外国人の、餅が苦手だという話は思わず同情する。

『見えるものと観えないもの』
淀川長治との対談の中で、横尾忠則の原体験が江戸川乱歩であり、それ以降何を読んでもピンとこないというのが面白い。
面白く読んでいたのもつかの間、草間彌生との対談ではかなりイライラさせられた。私は美術家としての草間彌生はほとんど知らないが、これはひどいと思った。
横尾忠則との対話がまったくかみ合っていない。草間自身もそれに気づいて戸惑いを見せているが、横尾さんの方がもっと気の毒である。少なくとも(現代美術界や美術史を知らない)第三者が読むと彼女が言っていることはなんだかメチャクチャに思えてしょうがない。

乱読

推理小説ばかり読む
 本ばかり読んでいると体に悪そうだが止まらない。一種の強迫観念のようなものか。

虚無への供物 (講談社文庫)

虚無への供物 (講談社文庫)

 『匣の中の失楽』を読んだ後立て続けに『虚無への供物』を読む。三大ミステリの一つである『虚無への供物』だが、トリック云々の前にどうも物語に入り込めない。登場人物に感情移入できないのだ。単に時代背景の問題でもなさそうだし、この作家と私は相性が悪いのかなと思った。

匣の中の失楽 (講談社ノベルス)

匣の中の失楽 (講談社ノベルス)

それに比べ、この小説に対するオマージュとされる『匣の中の失楽』が違和感なく読めたのはやはり現代風になっている訳なのだろうか。
葉桜の季節に君を想うということ (文春文庫)

葉桜の季節に君を想うということ (文春文庫)

 
『葉桜の季節に君を想うということ』はタイトルに惹かれて読んだが期待はずれ。ラストに関して言えば、やられたというより興ざめに近い感覚だった。 
『マヂック・オペラ』は前作である『ミステリ・オペラ』に引き続きなかなか良い。どうやら私は推理小説を読む際にトリックやラストの意外性といった点より、ストーリーや文体そのものに重点を置いて評価してるような気がする。
封印再度 (講談社文庫)

封印再度 (講談社文庫)

 
ついでに『封印再度』も読む。この作者の小説はいつもながらサクサクと読める。良くも悪くも引っかかるものがない。シンプルでつるつるした肌触りである。しかしながらこの作品に関して言わせてもらうと、シリーズの最初の頃に比べてヒロインが嫌な女になってきていることが残念。というのも性格的にあっさりしていて凜としたような女性像だったはずが、だんだんと陰湿でジメジメした女の情念の欠片のようなものが突出してきた感が否めない。登場人物全員に言えることだが私はこの作者には人間のドロドロした内面の描写には全く期待していない。逆に現実ばなれした人間描写、良い意味での世間ズレした透明な感じが好きだったのだが、これはあくまでも私の好みの問題か……。

草枕 (新潮文庫)

草枕 (新潮文庫)

 ジャンルが偏ってばかりもいけないので夏目漱石の『草枕』を再読する。単語ひとつひとつ注釈をめくりながらだったので、読むのにずいぶん時間がかかった。『こころ』なんかに比べると、こんなに読みにくかったっけ?と思ったりした。

『ハサミ男』について

 評判が良さそうなので読んでみた。
まず気になったのが文章がひっかかる、というか私好みではないということ。慣れればそうでもないのだろうが始めはスラスラと読めなかった。
この小説はラストの意外性に重点を置いているが、それまでに続く過程にも伏線が張られているので読み終わった後に前のページをパラパラとめくる楽しみがある。

私としてはラストよりも過程で描かれているハサミ男と警察の心理戦が面白かった。それだけにラストは意外ではあったがその驚きも軽い印象であった。 

ハサミ男 (講談社文庫)

ハサミ男 (講談社文庫)