萌える男

萌える男 (ちくま新書)

萌える男 (ちくま新書)

 読後にこんなに嫌な気分になった本はいつぶりだろうか。とにかくイライラさせる本である。
 はじめに断っておくが、僕はオタクやアキバ系といわれる人々に対してそんなに悪い印象はない。単に「ああ、ゲームとかアニメが人一倍好きなんだな」という具合である。ゲームやアニメに限らずどの分野にもマニアと呼ばれる人々はいる。車だって温泉だって古本だって、異常とも言えるこだわりをみせて愛好する人間はいくらでもいるのである。
しかし、もしもこの著者がゲームやアニメを中心とする「オタク」の気持ちを代弁しているのだとしたら、そんな「オタク」どもは非常に不愉快である。そうでないことを祈りたいのだが。
 著者である本田氏によれば、現実世界は恋愛資本主義であり不平等だと言って執拗なまでに呪っているが、一体どうしちゃったのだろうか。そもそも本書の提唱するところの「萌える男」たちは現実世界の恋愛に興味がないのではなかったのか。だったら現実世界がたとえ恋愛資本主義であっても、二次元の世界で欲望を昇華する萌える男には関係のない話であるはずだが、そうはいかないらしい。
あくまで本田氏は現実世界を相手に戦いを挑んでいるみたいだ。なんで?

 まず「萌える男=優しい」、「萌える男=純愛」だの、「萌えない男=汚れている」という決めつけに辟易させられる。また、欲望の充足方法において、萌える男は安全かつ無害であって、萌えない男は鬼畜で犯罪者であるみたいな言い方は短絡思考以外の何ものでもない。それに現実世界では美男美女でなければ恋愛できないといって恋愛制度そのものを否定しているが、二次元の世界であるゲームやアニメにでてくる人物も美男美女ばかりじゃないかと思わずツッコミたくなる。
本田氏は一見、現実世界(三次元)とフィクション(二次元)を対立させているかのように見せかけて、現実世界の価値観を都合良くフィクションに織り交ぜている。僕が特にイライラさせられるのは、本田氏が萌える男を“過剰に”正当化することである。本田氏はニーチェを引用してルサンチマンを延々と語っているが、萌える男が現実世界を被害妄想的に意識するかぎり、彼らのルサンチマンはなくならない。それどころか、二次元を善とみなし現実世界を悪とみなす価値転倒によってルサンチマンを強化していることに気付かないのだろうか。
 萌える男たちが現実世界でモテないことを割り切ることこそ、恋愛資本主義に対しての有効な?姿勢だと思うのだが、彼らはやはり現実世界でもモテたいらしい。だったら無理な正当化なんてしないで「モテたい」ってはっきり言えばいいのに。
この本を読んでオタクやアキバ系と呼ばれる人々がなぜ怒らないのか不思議だ。本田氏と一緒にされたくない「萌える男」はたくさんいると思うのだが……。


とにかく本書はあまりにツッコミどころが多すぎて、読むのにえらく疲れた。それといちいち載せてる図表もいらないと思う。