愛だの恋だの

女心とはなんだろうとしばしば思う。
相手がダメな男と知りつつ接近するその心境とはいかなるものか。おそらく、守ってあげたいとか母性本能だとかそんな陳腐な要因を超えた何かがあるのだろう。
それが恋愛だと思う。いちいち理屈では語ってられないような、そんな理性を突き放す態度こそが恋愛の極致なのだ。
なおかつ、まともな人は恋愛を大マジメに語ろうとすると気恥ずかしさを感じる、それがまた恋愛の醍醐味なんでしょうな。


恋愛というものを学問として扱うことが難しいというのは非常に興味深い事実である。
恋愛学なるものがあるが、それが「学」としての体裁をなし得るかは甚だ疑問である。それは、人の心を知ろうとして心理学を学んだ際のむなしさに近いのではないのだろうか。愛だの恋だのはとても移ろいやすいものであるし、そもそもそれが感情に左右される概念であることが大きな原因の一つである。
人文科学・社会科学といった学問のなかに恋愛を押し込めることができないことは、例えが適当かどうかわからないが、セックスを医学的に説明するような歯がゆさに似ている。
だからこそ恋愛論は単なるイデオロギー論として扱われるのだが、そのことこそが学問の範疇を軽やかに飛び越えていることの証明にみえてしょうがない。